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自動車学校研究所

自動車学校 昭和と令和 今昔物語。時は流れてもハンドル握る真剣さはいつの時代も同じ! 

こんにちは。安全運転祈願の 安吉です。

今日は昭和と令和の自動車学校の違いについてお話ししたいと思います。

自動車学校って、お父さん世代の方にとったら決して楽しい所ではなかったと思うんですよね。

社会全体が スパルタ式で大人は子供には厳したっかし、車の運転に関することなんてそりゃあもう… でもね、今も厳しい所も残しておかなければいけないんですよ、だって車ってやっぱり怖いものだから。

安吉
安吉
合宿のパンフレット見たら楽しそうだよ、昔はなかったの?
チョコ教官
チョコ教官
合宿ってそう言えば昭和にはあまり聞かなかったね、車もミッション車しかなかったから難しかったなあ~教えるのも

ゴールは同じ 免許取得 でも過程がこんなにも違うんですよ。

昔は教官が怖かった…!

そうなんです。令和と昭和の圧倒的な違い!それは

昔は教官が鬼軍曹のようだった。

棒持ってる教官とかもいたりして(本当です)怒鳴られ、けなされの涙を呑んでの憂鬱な日々を耐えてました。

ミッション車しかなたっかから大変だったんですよ。

お父さん世代に聞いてみたら高確率で同じ意見だと思います。

しかし、生徒さんのほうも負けてはいません。元気良すぎる生徒さんが18歳になるのを待ち構えて駆け込んできたものです。

なにせ車に、いえ、カッコいい車に乗るのが10代の最高のステータスでしたから。皆競い合うように自動車学校に通ったものです。

熱い教習生に熱い教官、

げに暑苦しい自動車学校。

令和はむしろ車に興味を持ってもらうほう先ですね。

でも安全運転を身に着ける教習は、いつの時代も同じなのですよ。

ミラーで確認命! 安全運転を身に着ける教習は、いつの時代も同じ‼

今は絶滅したキャンセル待ち

自動車学校なんぞ、とっとと卒業していち早く車に乗る(カッコよくドライブすることを競ってるものだから、大げさでなく、夜明け前からキャンセル待ちが行列だったんですよ、

いまなら考えられない!それだけ子供も多く、人が集まるのも躊躇がなく、集まったら集まったでまた、それも楽しんだ時代だったんですね。

令和の今はそんなことしなくても、空いた時間があったら自動車学校のお姉さんがお電話してくれることのほうが多いのです。

そう言えば応急救護、高速教習もなかった。

いつ応急救護が自動車学校のカリキュラムに加えられたのか、紐解けば平成6年3月警察庁交通第5号をもって通達、とありますので、最近と言うわけではないんですね。医師、看護師は免除です。実習に近いですが、技能ではなく学科です。学科番号⑫⑬⑭です。

高速教習は昭和の頃は 東名名神はあっても 地方にはまだまだ高速道路自体が無かったので、こちらも平成6年、初心者も高速道路に慣れておく重要性が高まってきましたので。

最初は まだ免許になってないのに 高速行くなんて、との心配の声も上がりましたが道路事情が良くなるにつれ、逆に高速の教習はなくてはならないものにとして、捉えられてきました。

こう言っては何ですが、指導員のほうも怖かったでしょうね。

送迎便が 家まで来てくれる説

昭和の頃、送迎バスの停車場まで遠くて相談したら、あっさり

「あーじゃあね、先に原付免許取ってきたら?」

とあっさり言われてしまいました。(笑)

今なら何て不親切な自動車学校!なんてクレームが来そうですね。令和の今は 閑散期には家までお迎えに伺う自動車学校もざらにあります。

とある教習生は お迎えに上がりました、なんて言ってもらってお姫様気分♡ なんて意見も。足取りも軽やか、でしょうね。

昭和の頃は、原付免許、先とって来て→ それでまじめに原付で通った →

ええ、当たり前のように自力で。

30年後、お姫様気分……。

時代、変わりすぎ❕

ミッション車しかなかった。挫折者多し

オートマチック車なかったから本当に苦労しました…と言うお母さん世代もおおいのではないでしょうか。中には志半ばで挫折、退校せざる負えない方も今よりも多かったと思います。

オートマチック車発明した人ってホンと偉大ですね。

昭和の人は、

オートマチック車はある意味その昭和時代の画期的な、

すげー!自動運転車じゃん!

と感じられたかもしれません。

余談ですが 高齢者の方はノークラって言います。

車の性能の違い。

これはもう オートマチック車の普及とともに、車の性能自体も格段に良くなりました。

昔は窓も(踏切で音よし!ッて言うアレですね。)パワーウィンドウではなく、手動でした。把手のようなものをくるくると回して音よし!みんな当たり前にやってました。

現実には踏切で窓開けてる人って見た事ないですけどね。

昭和の頃は車は故障も多かったから 朝の車の点検でオイルとか確認していましたが いまは点検自体、やっている人いるのかなあ、仮免許後の 路上教習の1番初めにボンネットの中の説明をします、それ終わって路上へGO!なのです。でもまあ、エンジンオイルを足したりする知識はあったほうが良いですね

あッ!^^; エンジンオイルってガソリンじゃ、ないですよ。


坂道発進! クラッチ、ローギア ハンドブレーキ、半クラ…。最近はあまりみかけないマニュアル車です。

今はお得な自動2輪セット。昔は2輪も試験があった。

自動車学校は品物があるわけではないので 割引とかあったとしてもせいぜい教科書無料サービス、それと学割どまりではないでしょうか。

シーズンによってはお得だったりするのですが 将来普通2輪を取得されたい場合は普通免許と自動2輪パックと言うプランがあるはずです。入学金どちらかが免除になったり3万円割引くらいの設定が多いと思います。

例えば普通2輪を先に取れば 普通車の免許を取るときは学科は免除になりますし、お得ですよね。

昔は自動二輪も普通車も学科があったのですよ。そう思えば今はどちらかを先に取れば学科は1回で済むのでいいですよね。

原付はノーヘルでした。今思えばあぶないですよね でも、その当時の原付免許の認識はいまの自転車とそう変わらなかったかもしれませんね。

昭和と令和の自動車学校の違いを並べてみましたが 車が危ないもの と言う事実は 変わらないのです。そう、高齢者のアクセルとブレーキの踏み間違え、今問題になってますよね…。

令和4年からは高齢者講習の内容も変わってきます。時代に沿った規制もかかってきますが ここで ふとおもいます。

アクセルとブレーキの踏み間違え事故、ミッション車なら起こさないんじゃね?ダサいの代名詞だったエンストで、とまるじゃん!

ああ、時代は後戻りしませんが、古い手動のものにも、良い側面もある、と言う。

安吉
安吉
実際車に乗ったら全責任は自分しかないもんね
チョコ教官
チョコ教官
特に車は変に優しすぎる指導よりは 危険回避をしっかり身につけられる指導も大事ですからね。

教官も時代に合わせて、優しくなってきたけど、とっさの判断の時には、厳しい指導が生きてきますよ!

 

自動車教習所 代表取締役
由子
少子高齢化、自動運転、オンライン学科教習、 急速に変ってゆく時代を あたふたしながら運転免許の大切さを 真剣に、でも ちょっとポップに発信していこうと思います。

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